永田洋子さんが逝ってしまった。 

2011年2月5日午後10時6分永田さんが、逝ってしまった。あと4日生きたら2月8日が66才の誕生日だったのに。
 昏睡状態が長く続き、このブログで、近況をお知らせするといっても、永田さん本人の声を殆ど載せれる事なく終わってしまった。とても、苦しかっただろうなと思う。
 だけど、もう苦しまなくてよくなった。
 永田さんは、とてもはにかみ屋の少女のような感性の持ち主だった。
 私が、このブログを立ち上げようとしたそもそもの理由は、永田洋子で検索して出てくるものが、少しも彼女の側にたった記事がないのと、報道されている殆どの内容が、彼女を誹謗中傷したもので、私が面会して、あるいは、文通して知っている永田洋子さんの実像からはほど遠いものだったからだ。それは、永田さん本人を殆ど知らない人たちが無責任に作り上げた虚構でしかなかった。それでは、あまりにもアンフェアーだと思い、支援の方の許可を得て立ち上げてみた。
 まだまだ、記事数は少ないが、私は、永田さんにこれを託された気がする。
 少なくとも、永田さんに浴びせられている誹謗中傷を、彼女を知っているものの一人として黙っておれないのだ。
 永田さんは亡くなられたが、これからも、このブログを通して、永田さんの実像を伝えていきたいと思う。
 波乱に満ちていた彼女の人生の次の世の旅立ちの花向けになったらと思う。

永田さん関連の番組のお知らせ

永田洋子さん関連の番組のお知らせをします。

番組名 :NHK ETV特集永山則夫 獄中書簡1万5千通の対話」
放送日時:10月11日(日曜日) 午後10時〜11時30分

この番組の中で、永田さんの手紙の引用が2か所あります。

永田洋子さん関連の番組のお知らせをします。

番組名 :NHK ETV特集永山則夫 獄中書簡1万5千通の対話」
放送日時:10月11日(日曜日) 午後10時〜11時30分

この番組の中で、永田さんの手紙の引用が2か所あります。

永田洋子さんの近況

永田洋子さん(以下洋子さんと表記する)は、現在、死刑確定囚として東京拘置所(以下東拘と表記する)の病室に収監され、寝たきりの状態でいる。
洋子さんは、1984年7月20日、「松果体部腫瘍」のため慶応病院でシャント手術をうけ、その後、東拘に収監されていた。

2006年3月16日に倒れ、大小便や食事が自力でできなくなった。3月24日に私が面会した時は、意識のない状態で車イスで運ばれてきた。

3月30日、慶応病院に入院。
慶応の医師より、「以前行ったシャント手術で入れた管がボロボロになっていて、脳圧が亢進して、そのため脳が委縮している。管を取りかえれば、脳の委縮はもどる」との説明があった。同日、管の取りかえの手術をうけた。この管の手術は失敗し、31日に再手術をした。

4月3日、洋子さんは東拘に戻された。
5月4日、東拘医務部長より、「慶応病院の吉田、戸谷医師が診察し、『脳室の拡大あり。2月から脳委縮があり、意識が悪くなる一方、今は全く意識はない。脳委縮はいかんともし難い』」と診断があった」と説明される。

5月31日、東拘より洋子さんを「八王子医療刑務所に移送」と連絡してきた。

以下、八王子医療刑務所、再移送後の東拘における面会の様子等を記して、洋子さんの経過・現状を説明する。

八王子医療刑務所での面会および医師の話
2006年6月7日
 何度も呼びかけると目をあけた。手をにぎりかえしてきた。
医師の話
意識水準は30(言葉を発することがある程度)。栄養は点滴で入れている。次の段階では、胃瘻による栄養摂取もあるが現段階では意識がしっかりしていないので、この方法は危険である。
6月22日 
私の問いかけに洋子さんは「わからない」と答える。私の手を握り離さない。面会終了時、看護師さんに協力してもらい、やっと手を外す。
私が「また来る」と言うと「また来るのは良いけど、おいていかないでね」といったようだ。
8月15日 
 「8月14日に胃瘻の手術をした」と医者から知らされる。
このところ、面会時寝ていることが多い。
9月12日 
 医師の話
発語しなくなった。脳委縮は変わらず、時間もたっているので良くなるのはむずかしい。
9月14日 
八王子医療刑務所より呼び出し。
午後4時過ぎ、吐いているのが見つかり、洋子さんは危篤一歩手前の状態になる。
9月19日 
最近のなかでは、意識状態は良かったようで、呼びかけにうなずく。
10月3日 
寝ていた。看守の話では「お父さん」と言ったり、医師に「ありがとう」と言ったという。
10月11日 
 私がわかるかと言うと「わからない」と首を振って意志表示した。看守は、「リハビリのとき『自分で立つから良い』と2度言ったと聞いている」という。
11月15日 
今日は問いかけにうなずいたり首を横に振ったりして反応していた。目もすっきりし顔色もよく何か言おうとして、唇をふるわせていた。
その後、「待っていて」とはっきり言う。「どこか痛いか」「私がわかるか」という問いに、首を横に振ってこたえた。手はさかんに動かし、足も動かしていた。
 医師の話
発語は増えている。専門医(慶応の医師)は「シャントは十分機能している。脳委縮はこれだけたっても戻らないので、これ以上良くはならないと思う」と言っている。
栄養は、点滴と胃瘻の併用している(逆流の危険を減らすため)。


2007年3月28日
 八王子医療刑務所に電話。
「東拘へ戻した」といわれる。

以上の通り、八王子医療刑務所では、脳委縮は治らないものの少し病状は良く
なった様にみえたが、東拘へ移送後はリハビリの治療もなくなり、栄養も点滴
で入れるのみとなり、病状は悪くなる一方である。
現在は、面会に行っても寝ていることが多く、発語はほとんどなく、何か言っ
ても全く言葉にならず、私には聞き取ることはできない。
また、私についても誰であるか認識できない(以前のように手を握って離さな
い等という事はなくなった)どころか、何回も面会に行っているが、私の顔を
覚えていないようで、毎回はじめて見るという感じである。「この顔ははじめて
見ると思うか」という問いに、たまに首を振るくらいの反応がある程度で、意
思の疎通はほとんどできない状況である。

2009年7月27日 面会(東拘)
入室し呼びかけたがこちらを見ず、目の前に回り「面会に来たがわかるか」と言うと口を動かすが声は出ない。
「私の顔がわかるか」と聞くが、声が不明瞭で何をいっているのかわからず、
今日も天井を人さし指でさし、目で一点を見ている。「何か見えるか」と聞くが反応はない。

7月27日の面会は、少し発語した(聞き取りは不能だが)ことをのぞいて、最近の面会(起きているとき)の様子の典型といえる。